山で発見!?巨大地下空間

人が1人もおらず、薄暗く、こんこんと湧き水の音だけが響き渡り、薄っすらと霧がかかったようなこの異様な空間

かつての防空壕でもないし、どこかの国の秘密地下施設でもない。

れっきとしたJRの駅―上越線土合駅である。

「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」。そう、これは、川端康成の小説『雪国』の一説である。小説に言うところの「トンネル」は、谷川連峰を貫く群馬・新潟県境の清水トンネルのことであるが、このトンネルと並行する新清水トンネルの中に、土合駅はある。


上野駅を出発し、高崎駅と水上駅で普通電車を乗り継いで、約3時間。水上駅を出発した電車は、10kmにも及ぶ長いトンネルに入る。しばらくすると、暗闇の中で電車が減速を始める。そして、薄闇の中で、ドアが開く。そこが土合駅である。

こんな駅で降りたのは、我々と初老のご夫婦のみ。ホームに降り立つと、とんでもない所に来てしまったことを、全身で感じる。列車が走り去ると、聞こえるのは湧き水の音のみ。異様に高く丸みをおびた天井、薄暗い照明、割れたまま放置されている蛍光灯、古びた駅名の表示板、不気味な雰囲気が漂う薄汚いトイレ、長い間この空間にとどまっているであろう不思議な空気(湿ったコンクリート臭)、こだまする話し声。そこに存在する全てのモノや現象が、異次元空間の雰囲気を演出する

しかし、この駅の最大の特徴でもある462段の階段を登らないことには、この空間から抜けることはできない。緩やかにまっすぐと伸び、終端部がぼやけて見えない異様な階段は、決して他の場所で見ることはできないであろう。

都市部では、エスカレーターやエレベーターの設置を進めているJRであるが、当然この駅に、「バリアフリー」などという概念が当てはまる訳がない。言うならば、いわゆる健常者にとってすら、非常に「バリア」である。

階段を下から見上げると、駆け上がってやろうなどと思えないことはないが、とんでもない。半分も登らぬうちに息切れを起こす。その辺りのことは、設計者も承知しているのであろうか、この462段の階段には、5段ごとに踊り場が設けられている。さらに、旧国鉄かJRのささやかなサービスなのであろうか、階段の中腹(?)にはベンチが設けられており、1段ごとに段数が書かれている。

ちなみに、この土合駅の462段の階段はどれほどのものか。東京で最も深い地下鉄駅である大江戸線(その深さはお馴染みですね)の六本木駅のホームから、地上まで何段あるか。その大江戸線六本木駅でさえ、300段に満たない。しかも、大江戸線の駅ならば、明るい照明があり、エスカレーターもエレベーターもある。

なお、この土合駅にも、建設時には、エスカレーターの設置が計画されていたようである。その証拠に、階段に沿って、エスカレーターのサイズに合わせて造られたと思われる「溝」がある。しかし、1日に数えるほどしか利用者のいない駅である。この先、「エスカレーター計画」が、実現することは、まずないであろう。

何とか462段の階段を登りきると、20年以上も前から何一つ変わっていないような雰囲気の木造の通路を通り、ようやく無人の改札口にたどり着く。

ちなみに、この土合駅は谷川岳の登山道への最寄り駅でもあるとのこと。しかし、登山道具をかついで、462段の階段を登るのも、いかがなものであろうか。


ところで、このような奇妙な構造の駅が、どうして造られたのであろうか。技術者の自己満足?旧国鉄の単なる浪費? きちんとした経緯がある。

そのヒントは、土合駅の下りホームは地下深くにある一方、上りホームは地上にあるという変則的な構造にある。

1936(昭和11)年に土合駅が開業した時は、この駅は単線であり、現在は上り線として使われている地上ホームのみであった。開業時点で、谷川岳を貫くトンネルは、冒頭に引用した川端康成の『雪国』にある「トンネル」、つまり、清水トンネルのみであった。この清水トンネルが着工されたのは大正時代のことで、建設技術が未発達なため、トンネルの距離を短くする必要に迫られ、山の中腹まで登ってからトンネルに入るという措置がとられた。

その後、時代は流れ、昭和30年代になると、輸送需要が増加を続け、単線の上越線は、その需要に対応できなくなった。そこで、複線化が検討された。この頃になると、建設技術が進歩し、大正時代には断念せざるを得なかった距離の長いトンネルを、建設することが可能になった。こうして造られたのが、新清水トンネルである。

大正時代に造られた清水トンネルと比べ、3割以上も長い新清水トンネルは、清水トンネルの約半分の工期で、1967(昭和42)年に完成した。そして、土合駅は、この新清水トンネルの中にある。

このような事情で、土合駅は、現在のような変則的な構造になったのである。 ちなみに、最盛期には、東京と北陸を結ぶ動脈であったこの路線は、現在、1日に5往復の列車しか運行されないほどの、ローカル線になっている。それは、1982(昭和57)年に、上越新幹線が開業し、需要が激減したためである。

まあ、この辺りの経緯はさておいても、この夏、青春18きっぷで放浪する予定のあなた。他では絶対に味わうことのできない、この不思議な駅を探訪してみては、どうだろうか。