書こうぜ、遺言状!

2002年の或る月、私は東西線三鷹駅周辺のみず〇銀行の前に立っていた。目の前にはこんな貼り紙がある。

遺言状の見本差し上げます。

ネタハンターの私がこんなメッセージを放っておく訳がない。私の心は"使えそうなネタ"の到来に躍っているのだった。

自動ドアが開く。

「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件で……?」

「あの……。遺言状の見本が戴きたいんですけど……」

「はい、こちらのアンケートにお答え下さい」

…嗤ったな。 今一瞬嗤っただろ! 女、化粧濃いぞ! ちくしょう、まあいい。確かに私はおかしい。遺言状なんてGさんBarさんのマストアイテムだ。背伸びしすぎもいいとこだろう。私は大人しくアンケートを書くことにした。はい・いいえで答える簡単なものだった。

「住所、TEL、相続に興味があるか。講習会に参加する意思……?」

ふと思う。こういうアンケートってのは、たいがい客の名簿なんかを作るためにやるって話だ。どうしよう、ある日私宛に"相続関係の講習会のDM"かなにかが来たら。そりゃあ親もさぞかしビビるだろうな。普段から不健康そうな顔をしている私のことだ、自殺するとでも誤解されかねん。……まあ、うちには相続するような富はないけどな。

とか何とか考えている内にアンケートは終わった。

「はい、書けました」

「ありがとうございます。こちらが遺言状の見本になります」

A4サイズの茶封筒を受け取った私は満足げにみず〇を出た。

家に帰り、獲物を開けてみる。だが、中から出てきたのは私の期待を大きく裏切る、無味乾燥な数枚の紙切れだった。

紙切れ期待はずれ

遺言状ってのは考えてみれば相続関係の重要な書類な訳で、カターイ事務的なもので当然なのだが、それまで私はこんなものを想像していた。

この手紙を読む頃にはお前も大きくなっていることだろう。元気でやっているか? …ワシはもうダメだ。もっと長くお前と一緒にいたかったが、それも出来そうにない。つい先刻、魔王の断末魔が聞こえた。魔王が死ねばワシも死ぬのだ。ワシには、魔王の元へ向かう勇者を止める力はなかった。…完敗だったよ。ああ、もう躰が崩れ始めてきた。残された時間はわずかだが、最後に一つだけ言っておきたい。ヒュンケル、思い出を…ありがとう……。

父さん! …とまあこうなる予定だったのだが、だいぶ予定が狂ってしまった。仕方ないのでここらで遺言状の説明でもしよう。しかし出来ることなら「私のくだらない文章を読むよりもこの本を読め!」といって筆を置きたい。そもそも私は法学部ではない(じゃあ書くな)!  こういうことには不向きなのだが、まあ腹をくくって書こう。

一般にはあまり知られていないが、遺言状は七種類ある。


    知っておきたい 遺言七種類

  1. 自筆証書遺言

  2. 公正証書遺言

  3. 秘密証書遺言

  4. 一般の危急時遺言

  5. 船舶遭難者遺言

  6. 伝染病隔絶者遺言

  7. 在船者遺言


だが実際は、自分で書く『自筆証書遺言』、公証人に書いてもらう『公正証書遺言』、そしてその折衷案とでも呼ぶべき『秘密証書遺言』の三つを憶えておけば十分だ。このコーナーではそれらを簡単に紹介していくつもりだが、その前に、遺言状ってのがどれほどの威力を持つものなのかを確かめておこう。

大まかに言って、遺言で法的に決められるのは五つだ。次のリストを見てほしい。


    法的拘束力を持つ主なもの

  1. 遺産の配分……誰に何を まで決められる

  2. 祭祀継承者の指定……墓や家系図の持ち主を決めること

  3. 隠し子の認知……死人は責められない

  4. 遺言執行者の指定……あらかじめ言っておかないと断られることもある

  5. 生命保険受取人の指定……変更もできる


つまり、「オッス、みんな元気か? 今、界王様を通してみんなと話してるんだ。オラ死んじまったけどよ、オラのことは生き返らせなくっていいぞ。なにしろ界王様が特別に体くれるっていうからよ、……」とかいうのはダメだ。また、未来で生き返るために脳を冷凍保存してくれというのもダメだ。間違いなく火葬される。要するに、この五つ以外のこと、毎年墓参りに来いだとか散骨してくれだとかは、お願いすることはできても強制はできないということだ。それをわかった上で、希望があるのなら色々お願いしてみよう。書くのはタダだ。「棺にプーさんを入れてくれ」ぐらいなら叶えてくれる可能性も高い。

【自筆証書遺言】

遺言者が本文、署名、日付を全て直筆で書き、押印する。直筆であれば足で書いてもいいが、読みにくい上に筆跡鑑定もしづらいので、特別な事情がない限りは手書きがいい。ワープロ不可。署名は「カッシー」でも通じる可能性はあるが、無効にされる公算が高いので本名の「紫蠍 雄軽」にした方が遙かにいい。また、紙に書かなくてもいいし、そういう実例もある。ただ、こだわりがなければ紙の方が無難だ。忘れがちなのは次の2点。日付は封筒にではなく、本文と同じ所に書くこと。遺言が複数枚になる場合は、それらにまたがる形で契印を押すこと。感動的な遺言状で涙を誘いたければ、これをお薦めする。

以上が自筆証書遺言の基本事項だ。ただこの種の遺言は、一人で書けるお手軽さと同時に不備などにより無効になる危険性を含んでいる。というのも、遺言の執行前に家庭裁判所による検認が必要だからだ。実際のところ、パーフェクトなものを作るのは意外と大変だ。ここから先は、正しい書き方の解説に入ろう。

書き出しは次のように決めるのがベストだ。「遺言書 遺言者〇〇〇は、本遺言書により次のように遺言する。」これがなくっちゃあ、遺言状なのか何なのかわからない。こう書いた上で本題に入るべし、だ。そして内容を書く。不動産の相続に関しては、その住所や面積、地番や家屋番号なども記載しておくといい。その不動産の登記簿謄本を見ればすぐにわかる。

一通り内容を書いたら、最後に「遺言者は、本遺言の執行者として〇〇〇を指定する。」でしめる。あとは日付と遺言者名と自分の生年月日を書けば終了だ。完成品は封筒に入れ封をし、人目につきにくく且つ遺物の整理の際にはちゃんと見つかりそうなところに保管しておこう。遺言状は見てもらわなければ意味がないのだから。

【公正証書遺言】

公証役場に行って、口頭で伝えた内容を公証人に整理して書いてもらうものだ。公証人はプロなので、自筆のものと違って確実性が高い。よほどのハズレを引かない限りはミスはないだろう。印鑑登録証明書などの書類が必要になり少々面倒だが、遺産のことでもめそうな遺族がいる場合にはこちらをお薦めする。ただし、公証人と立ち会ってもらう二人の証人(利害関係のない第三者)に内容がもろバレしてしまうので、やや恥ずかしい。

聞かれたことに答えさえすれば後は書いてもらえるので、特に書き方はない。気になるのは公正証書遺言作成手数料の金額だろう。貴方の財産にもよるが、一億円以上もっていない限り四万三千円以内におさまる(最低額は五千円)。また、立ち会ってもらう第三者に当てがない場合は、日当一万円程度払えば公証役場の方で適当な人材を二人連れてきてくれる(人身売買ではない)。遺言状の元本は役場が保管してくれるので、なくす心配がないのもいい。

【秘密証書遺言】

自分で書いた遺言状を公証役場までもっていき、確かに本人が書いたものだということを公証人に証明してもらうというもの。ワープロも可。身分証明のための印鑑登録証明書と二人の立会人が必要だが、内容は一切知らせずにすむ。愛人や隠し子がいる場合に重宝する。完成品は持ち帰って保管すること。自筆証書遺言との違いは、「本当に本人が書いたのか」でもめずにすむことだ。つまり、どんなにショッキングな内容が書いてあっても信じてもらえる。因みに作成料は一律五千円。書き方は自筆証書遺言と同じなので省略しよう。


さて、いかがだっただろうか。これで貴方も遺言状通間違い無しだ(嬉しくない)。しかし、この程度で満足してはいけない。ここに書いたのは遺言業界の序の序、いわばさわりの部分にすぎない。遺言状というのは奥が深い。この雑誌を読んで遺言状の底知れぬ魅力にとりつかれてしまった貴方(不幸)には、木村晋介の『遺言状を書いてみる(ちくま新書)』をお薦めしておこう。弁護士が書いているだけに内容も正確で細かいし、文章力も私より優れている。

まぁ、あえて遺言を残さず、微々たる財産で鬼のようにもめる遺族を草葉の陰から見守るのも一興ではあるが……。